サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』

深夜二時を過ぎて、読みはじめる。
これが途轍もなく、シニカルで、面白い。
わけのわからないパートがたくさんある。

モンスター、という言葉の意味を想う。
得体のしれない何か、というのはただの想像力の欠如だ。というか、弱体化。
それに対する怯えや、どこから湧くともしれない恐怖、というのも同じだ。
わたしは、ひとりのニンゲンなのだ。
今日を生き、明日を生きるのだ。
死ぬことはないニンゲンなのだ。

孤独とはなんだろう。
その寂しさを失うことでニンゲンに対する想像力はいとも容易く失われてしまうものなのか。
いま、わたしが孤独を感じていないのだとしたら、その孤独は、目に見えなくなっているだけだ。
インスピレーション、というのは世界にたくさん存在しているのだ。ゴロゴロと。
わたしは、黙ろう。通る声で。言葉で。

わたしは一体、何なのか。
あたらしいせかいの発見者であり、ゴミ収集人である。

静寂を揺さぶるのだ。
つまり、それが発話だから。

だから、僕は話すのだ。
話す以上に耳を傾けて、動き、体験して、感じるのだ。
それで、考える。考える。
答えが出ないから、感じるのだ。

こんなに考えているのは、ひさしぶりだ。ぐるぐるになる。

わたしはわたしの方法論を、すべて見直している。
ニンゲンのことを、生き物のかなしみを。偏見を。
いま、わたしは丁寧にまわりのひとのことを見られているだろうか。

裸電球が釣ってある。高速道路の橙で。
光は光源から放射線状に溢れている。
それを眺めて、虚ろ。寂しそうな顔をしている女。
「あのとき、あのまま、高速道路にいればよかった。」