ミランダ・ジュライ「アンドルー/べヴァリー」

新潮八月号掲載。
ミランダ・ジュライがどんなにまっすぐに人間に向かいあっているか。
また、偶然、を生かそうとする、作品の中の人物に結実させようとするポジティビティにやられた。アウトプットも過程も似ている。しかし、私には思慮が足りたい。
「あれから何十年もたった今もわたしは、謎の一端を解き明かそうとしつづけている。世界の端っこをめくって中をのぞきこみ、その下にある何かを現行犯でつかまえようとしている」(アンドルー)
僕も、ひとつの、観る者、聞く者である。そこに、ただ動物のようにリアクションするだけの生活では意味がないのだ。

http://youtu.be/__lEUbpYwr0

うーん。
なんだか、音楽がとても無力なものに見えてしまった。中途半端。

僕がやりたいのは、ムードを決定することじゃない。
観た、感じた現象をそのままの状態で、言葉と音だけで体験したい/してもらいたいのだ。
それは僕が空っぽだからできること。